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前線兵士の脱走が示す、北朝鮮「市場経済」の虚実2017年6月29日

 電子版アジア編集長 山口真典

2017/6/29 6:30
日本経済新聞 電子版

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が核・ミサイルによる挑発姿勢を強めるなか、朝鮮人民軍の兵士が「飢え」を理由に非武装地帯(DMZ)から韓国側に逃げる事件が相次いでいる。韓国内の脱北者は3万人を超えたが、軍の最前線からの脱走は指導部にとって特に深刻な問題だ。最近、平壌の発展や食糧事情の改善をアピールする北朝鮮。末端兵士の脱北からは「経済再建」とかけ離れた現実がうかがえる。

 
昔は「軍人こそ最高の結婚相手」といわれていたが…=AP

昔は「軍人こそ最高の結婚相手」といわれていたが…=AP

 韓国メディアの報道によると、朝鮮半島中部の軍事境界線を兵士が越えたのは6月13日と23日の2回。それぞれ20歳前後で栄養状態が悪かったという。2016年9月以来9カ月ぶりのことだったが、その兵士も20代でやせ衰え、脱走の理由を「韓国に行けばドルをもらえると聞いたから」と答えていた。

■自軍兵の脱走を防ぐために地雷を埋設

 ある脱北者は「厳しい統制下の最前線兵士が軍事境界線を越えるのは、単なる脱北とは違う」と話していた。韓国政府が脱北情報を公表しないケースもあるが、わずか10日間で2件続いたのは偶然とは言いにくい。

 いまや中国との境界を越える一般住民の脱北は珍しくない。「中朝双方の警備兵らに賄賂を払って手引きするブローカーに4万~5万元(約65万~80万円)も渡せば安全に脱北できる」(脱北者)。中国や韓国で外貨を稼ぎながら何度も北朝鮮と行き来する「脱北リピーター」も少なくない。

 数年前、中朝を分ける豆満江を訪れた。上流の狭いところは川幅が10メートルにも満たない。冬は完全に凍るので「夜のうちに中国側に渡って腹を満たして戻る住民も多い」(中国に住む朝鮮族)。

 だが、南の韓国軍と対峙するDMZ付近に展開する部隊は、まったく事情が異なる。近年、北朝鮮軍は韓国からの侵入を防ぐためというよりも、自軍兵の脱北を防ぐためにDMZ付近へ大量の対人地雷を埋設。最前線の兵士には韓国への憧れを抱かないよう思想教育を徹底しているとされる。前線からの脱走が相次げば、士気の低下だけでなく体制の不安定化も露呈してしまうためだ。

 かつては軍人になれば豊富な配給や栄誉を受けられ、「最高の結婚相手」ともてはやされた。最前線の兵士となれば一段と手厚く優遇されていた、はずだった。ところが配給制の行き詰まりに伴って、軍人を取り巻く状況は一変した。それを象徴するのが、北朝鮮の社会に根付きつつある自然発生的な「市場経済」だ。

 

 平壌に住む労働党や軍の幹部らは、金正恩体制に絶対的な忠誠を誓う見返りとして、十分に生活できる配給を保証されている。海外に発展ぶりをアピールする「ショーウインドー都市」の役割を担う平壌には、多くの高層マンションが並び、高級レストランが増えた。スマートフォンなど携帯電話の加入件数も300万を超えた。

 一方、地方の住民は配給が事実上途絶え、自給自足を迫られるようになった。食べて生きるために頼るのが不法なヤミ市場(チャンマダン)だ。脱北者などの証言によると、当初は副業で作った農作物や生活用品などを市場に持ち込んでコメや必需品に交換する場だったが、次第に中国から行商人が運んできた食料品や生活必需品など品ぞろえが拡大。いまでは「金さえ払えば何でも手に入る」ようになり、いつもにぎわっているという。

■「放任」が自然に育んだ市場経済

 
核・ミサイル開発に巨額をつぎ込む一方で前線の兵士の食糧事情は悪化している(5月、ミサイル実験に立ち会う金正恩氏)=AP

核・ミサイル開発に巨額をつぎ込む一方で前線の兵士の食糧事情は悪化している(5月、ミサイル実験に立ち会う金正恩氏)=AP

 北朝鮮は住民の旅行や移動を厳しく規制しているが、商才のある人々は賄賂を使って全土を網羅するような流通システムを整備。商品の供給をコントロールする業者が主要品目の値決めもできる強い権限を握って富を蓄え、新興富裕層が育っている。北朝鮮全土で400カ所を超すチャンマダンは、庶民の生活をつなぐのに欠かせない存在となった。

 結果として、指導部が平壌を除く地方の経済政策を「自力更生」の名目で放置したことにより、自然発生的な「市場経済」が育くまれた格好だ。当局はヤミ市場を統制下に置くため幾度も取り締まりを試みたが、その度に庶民の抵抗にあって黙認している。

 自給自足を迫られたのは、幹部を除く人民軍兵士も同じだ。わずかな配給は残るものの、若い兵士には栄養失調に陥る者も多いとされる。軍は農民から徴収する「軍糧米」に加えて独自に農作物も栽培するが、多くを軍幹部に上納しなければならない。

 末端の兵士は農作業や建設作業にも動員されるため、企業所(工場)や農場に所属する庶民のように副業に専念することもままならず、切羽詰まった兵士が集団で強盗や略奪をする事件も多発している。特に、最前線の兵士は韓国側のスピーカーから流れる宣伝放送で北朝鮮の体制批判を聞く機会もある。空腹と士気低下が脱走を促す一因になっていると想像できる。

 金正恩氏は「核開発と経済再建の並進路線」を掲げるが、経済再建の対象はあくまで体制維持に不可欠な特権層だけだ。しかし、指導部から見捨てられた庶民の生活は不法なヤミ市場によって改善し、そこから「市場経済」も育っている。核・ミサイル開発に巨額の資金をつぎ込みながら、やせこけた前線の兵士が続々と脱走する事態は、北朝鮮が抱える矛盾を象徴している。

 

山口真典(やまくち・まさのり)
 90年日本経済新聞社入社。政治部、アジア部、ソウル支局長などを経て、コンテンツ編集部次長。専門分野は朝鮮半島を中心としたアジア情勢。著書に「北朝鮮経済のカラクリ」。

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