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台湾に翻る中国の「五星紅旗」 日台の火種に2017年7月20日

2017/7/20 2:00
日本経済新聞 電子版

 日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件から80年。台北の路上で遭遇した光景に目を疑った。日本の対台湾窓口機関、「日本台湾交流協会」の事務所前で日本への抗議デモを繰り広げていた中台統一を唱えるグループの数人が、いきなり中国の国旗「五星紅旗」を高々と掲げたからだ。

 台湾は国号として「中華民国」を名乗る。中華人民共和国ではない。最大野党である国民党の洪秀柱・前主席のように統一論を唱える人はいるが「中華民国による統一」が大前提だ。なぜ、デモ隊は中華民国が「国旗」と位置付ける「青天白日旗」でなく、中華人民共和国の旗を持ち出したのか。事情を探ってみた。

■統一派のバックに中国共産党?

 
台湾で中国国旗「五星紅旗」が掲げられるのは珍しい(7月7日、台北市内で行われた反日デモ)

台湾で中国国旗「五星紅旗」が掲げられるのは珍しい(7月7日、台北市内で行われた反日デモ)

 デモを主導した「中華統一促進党」(統一促進党)は2005年に結党。台湾独立派を敵視し、過激な行動で注目を集める。総裁の張安楽氏は「黒道」と呼ばれる台湾マフィア(暴力組織)のなかでも最大級とされる「竹聯幇」の元幹部で、「白狼」の異名で知られる。

 彼らの矛先は、香港の民主派にも向かう。現地メディアによると、香港の民主派の若者がつくる新政党「香港衆志」(デモシスト)の黄之鋒秘書長らは今年1月、台湾の若者らによる新政党「時代力量」が主催するシンポジウムに参加するために訪台した。

 すると、台湾北部の桃園空港で待ち受けていた統一派のグループが「香港独立派は去れ」と叫びながら、黄氏らに殴りかかった。張安楽氏の息子で統一促進党幹部の張●(王へんに偉のつくり)氏は後日、フェイスブック上で「香港独立派が台湾の混乱に拍車をかけることを望まない」と主張した。台湾の立法委員(国会議員)には「統一促進党のバックに中国共産党がいる」と疑う人が少なくない。

 7月7日の反日デモ現場にいた張氏は、「(中国共産党と)関係はない」と強調した。なぜ中国の五星紅旗を掲げるのかと問うと「両岸(中国と台湾)は兄弟だ。両方の旗を使うことに問題はない」と言い放った。

 張氏がくれた名刺には「一国二制度」を意味する文言が記してあった。1997年の香港返還で、中国が「高度な自治を保障する」と定めた同制度は、もともと中国による中台の統一を見据えて構築した理論だ。張氏の主張が中国共産党と親和性が高いのは間違いない。

 
反日デモに参加する中華統一促進党幹部の張●氏(右)(7月7日、台北市内)

反日デモに参加する中華統一促進党幹部の張●氏(右)(7月7日、台北市内)

 台湾の急進的な統一派は人口の1%にも満たないとみられるが、軽視できない理由がある。12年9月、日本政府が尖閣諸島を国有化したことを受けて、中国各地に反日デモの火が燃え広がった。台湾でも漁船や巡視船から成る一群が尖閣諸島沖の日本領海に侵入した。台湾の急進統一派は周辺海域における日本の漁業規制に不満を持つ台湾漁民をたきつけて、領海侵入を支援する役割を演じたとされる。

 台湾は「釣魚台」と呼ぶ尖閣諸島の領有権を主張するが、対日関係を重視して穏健な態度を取っていた。しかし、この一件以降、本来は尖閣問題で別々に領有権を主張していた中台が、対日本で連携しているとの疑念が膨らんだ。過激な統一派は中台を媒介する危険をはらみ、その矛先は日本に向いている。

 今年4月、台南市(南部)にある日本統治時代の日本人技師、八田与一を記念する銅像が首の部分から切断される事件が発生した。統一促進党に参加する李承龍・元台北市議が犯行を認め、捜査当局の調べに「日本統治時代の歴史が美化されるのは納得いかない」と語った。

 八田与一は、日台の絆を象徴する存在だ。1930年に完成した台南市の鳥山頭ダムの建設を主導。日照りや豪雨に悩んでいた嘉南平原は、一連の水利事業で台湾最大の穀倉地帯へと生まれ変わった。なぜ統一派は、台湾の人々が「恩人」と慕う八田氏を標的にするのか。その背景には「日本統治の歴史」が統一派と台湾独立派による激しい争いの具となっている複雑な事情がある。

 八田像の事件に先立つ今年3~4月、過激な台湾独立派が国民党の指導者だった蒋介石の銅像の首を切り取る事件が相次いだ。李・元市議が八田像を切断したのは、その報復だったとされる。

■「日本の統治」巡り対立する歴史観

 
修復され、慰霊式を見守る八田与一像(5月、台南市)

修復され、慰霊式を見守る八田与一像(5月、台南市)

 国民党を率いた蒋介石は戦後、中国共産党との内戦に敗れて台湾へ逃れた。それから87年まで世界最長といわれる戒厳令を敷きながら、国民党一党独裁の下で人々を「中国人」として厳しく教育した。その蒋介石を否定することは、国民党による台湾統治の正統性の否定につながる。

 さらには、台湾の人々が「中国人」であり、将来は中国と統一するという論理の前提も揺るがす。圧政など毀誉褒貶(ほうへん)はあるにせよ、蒋介石は統一派にとって捨て去れない存在であり、独立派にとっては打倒すべき国民党支配の象徴なのだ。

 そして、蒋介石が台湾に来る前、約50年間にわたった日本統治をどう評価するかは、台湾の人々にとって最も敏感なテーマの一つだ。

 国民党は、中国大陸の内戦に敗れ台湾に逃れた経緯を「日本の侵略から中国を守る神聖な戦いで消耗したため」と位置付ける。国民党の馬英九・前総統は「抗日戦は(日本が台湾統治を始めた)1895年に始まったと捉えるべきだ」と主張する。この歴史観に立てば、日本統治時代の「美化」は受け入れられない。

 逆に、国民党による独裁や中国人教育に反発した民主派や台湾独立派は、インフラ整備や教育の普及など日本統治の再評価に積極的に取り組んできた。日本の統治は、まさに対立する歴史観の渦の中心にある。

 1987年7月15日、戒厳令の解除により国民党の統制が崩れてから30年。すでに8~9割の人々が、自らを中国人ではなく「台湾人」と認識するようになった。16年5月に発足した民主進歩党(民進党)の蔡英文政権は、民主化運動の弾圧など国民党の負の歴史を改めて追及しており、この流れに触発された一部の過激独立派が、蒋介石像を破壊したとみられる。追い込まれた統一派も、一段と過激な行動に傾いている。

 5月8日、鳥山頭ダムで八田与一の慰霊祭が開かれた。孫の八田修一氏は「ダムは当初、約50年で使えなくなるはずだった。皆様の努力にお礼を申し上げたい」とあいさつした。ダムは土砂の堆積による寿命がある。現地の人々は日本人が去った戦後も浚渫(しゅんせつ)など整備を怠らず、ダムを大切に使い続けた。切断された八田像は、著名な実業家の許文龍氏が率いる奇美実業グループが修復した。台南市の頼清徳市長は「日台の絆はより強くなった」と力を込めた。

 だが、厳しい警備が敷かれた会場の外側では、閉め出された統一派と独立派がにらみ合っていた。ほとんどの人々は日本統治の功罪両方を冷静に受け止めているものの、都合良く歴史を解釈して過激化する一部の人々の存在には、ぬぐい去れない危うさを感じてしまう。

(台北支局 伊原健作)

 

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